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定理Ethics III.P78 / 16

コナトゥスはものの現実的本質そのものである

コナトゥスはものの現実的本質そのものである8
Ethics III.P7

形式的命題

各々のものが自らの存在に固執しようとする努力は、そのものの現実的本質にほかならない。ものの所与の本質からは一定の帰結が必然的に導かれ、ものはその確定的本性から導かれる以上の力を持たない。したがってコナトゥス(conatus)は本質に付け加えられたものではなく、本質そのものが行動しているのである。

平易な言葉で

これがコナトゥスを物理的隠喩から形而上学的原理へと変えるステップです。あなたが固執しようとする努力は、背が高いとか茶色い目をしているといったあなたがたまたま持つ特徴ではありません。それがあなたなのです。努力を剥ぎ取れば、自己と呼ぶべきものは何も残りません。本質は静的な設計図ではなく、存在し行動する動的な力です。スピノザが後に欲望、喜び、悲しみを定義するとき、それらはすべてこの一つのテーマ――本質的な力の変動――の変奏となるでしょう。

なぜこれが導かれるか

ce-07より、すべてのものは固執しようと努力する。スピノザはここで、この努力が本質と同一であることを示す。ものの力はその本性から導かれるものに尽きる(I.P29, I.P36)。余剰の力も不足もない。努力はそのものの全存在なのである。

コナトゥスは本質の特性ではない。動的に理解された本質そのものである。

関連概念

もしあなたの本質がまさにあなたの努力であるなら、行動する力が変化するとき、あなたは異なる「あなた」になるのでしょうか?それとも、強度が変動する一つの本質なのでしょうか?